Up | 学校数学改造の契機:要旨 | 作成: 2013-08-20 更新: 2013-08-20 |
実際に行っていることは,学校教育批判を「作用主陶冶」批判に還元し,そして形而上学批判として「作用主陶冶」批判を行うことである。 したがって,学校教育批判としては,「作用主陶冶を謳う学校教育」批判である。 そこで,対象がズレてしまう。 批判された学校数学の方は,自身を「作用主陶冶を謳う学校教育」とは認めないからである。 一方,「批判」のプラグマティックな意味は,相手を負かすことである。 「形式陶冶説批判」は,相手を負かしたというのではないが,相手からかなりのポイントを取った。 それは,学校教育のオルターナティブのあること/あり得ることを学校教育界にはっきりと印象づけた,ということである。 |