『研究』は,教育の体(てい) をなしていない当時の学校教育を批判するのに,「形式陶冶」を<諸悪の根源>にした。
そしてこのとき『研究』が「形式陶冶」としたものは,「作用主陶冶」であった。
今日ひとが「形式陶冶」に対し抱くイメージ,これの受け取り方は,「形式陶冶説批判」の論説に大なり小なり影響されている。
そこで,「形式陶冶」とは何か?を,ここで論じることにする。
論考する主題は,本論考が主要と考えるつぎの3つである:
- 「形式陶冶」と「作用主陶冶」の位置関係
- 「形式」の意味
- 「形式陶冶」の論考における作者の年齢の意味
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註 : |
特に,本論考は,形式陶冶説批判が論点にする「論理 -対- 直感」「実用」「生活」といった内容については,特に言及せずに済ます。
実際,これをやるのは,なかなかに面倒くさいことになる。
面倒くさいことになるのは,これらの主題において,「形式陶冶説批判」はひどく論点のズレた論考になるからである。
──ひどく論点がズレた論考に対しては,論点をただす作業だけでも,けっこうな仕事量になる。
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