「形式陶冶説批判」は,「作用主陶冶」批判である:
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- 形式陶冶説は,行為の「‥‥する」を「‥‥する力が‥‥する」と分析し,「‥‥する力」の陶冶を説くものである。
- 「‥‥する力が‥‥する」は,「作用主が作用する」の図式である。
- 「作用主」(「‥‥する力」) という実体概念を立てることは,形而上学である。
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これは,今日だと「数学的○○」(「数学的考え方」「数学的問題解決」「数学的リテラシー」と続いてきている流れ) を批判するものである。
実際,「数学的問題解決」の考え方は,つぎのものである:
「問題解決は,問題解決能力がする。
そこで学校数学は,問題解決能力を陶冶しよう。」
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同様に「数学的リテラシー」の考え方は,つぎのものである:
「コミュニケーションは,コミュニケーション能力がする。
そこで学校数学は,コミュニケーション能力を陶冶しよう。」
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