Up | はじめに | 作成: 2012-12-25 更新: 2014-07-10 |
事実はそうではない。 「進歩」は学校数学の条件ではないということである。 一方,ひとが学校数学を論ずるとき,学校数学は<よくならねばならないもの>になっている。 「学校数学はよくならねばならないもの」は論点なのだが,この論点の先取が行われるわけである。 その学校数学論は,目的・実践論になる。 ここに,つぎの考えがもたれてくる:
「なる」(法則) を考えるべき主題みたいだ 》 本論考は,この「なる」の論考である。 そして,本論考はこれを「現成論」としてつくることになる。 読者の便利のために,この内容の概略を最初に述べておくことにする。 「なる」とは,どういうことか? 「なる」は,「均衡の実現」である。 「均衡の実現」は,系の事態である。 そしてこれが複雑な様相を呈するとき,「系」は「複雑系」で考えようということになる。 学校数学の「なる」は,複雑系の「均衡の実現」である。 「均衡の実現」は,現前がまさにこれである。 現前は「均衡の実現」であり,「なる」の相に他ならない。 「なる」は,この先に求めるものではなく,現前がそれである。 この「なる」論は,「現成論」(「<成る>は,現前がそれである」) がこれの形になる。 「現成」は,「現前の回収が現前」のウロボロス構造のことである。 「現成」の系は,「自己維持する系──それ以上でも以下でもない」である。 「現成」の系としての学校数学とは何か? 学校数学は,人がこれを棲処とする。 この学校数学は,自身を一つの生態系として現す。 本論考は,「現成」を,<学校数学が生態系として見えてくる位置にまで視座を退くときに,学校数学が現す相>と捉える。 「現成」の系としての学校数学は,生態系である。 こうして,学校数学の「なる」の論考は,「現成」が形式になり,そして「学校数学=生態系」が内容になる。 「学校数学=生態系」論は,学校数学の周期運動や生態パターンの現象を捉え,これを法則的に説明することに向かう。 本論考は,専ら自身の経験論としてこれを行う。 但し,学術的には,「学校数学=生態系」論はこれの基礎学を示唆していかねばならない。 その基礎学はどのようなものか? 本論考は,「学校数学形態形成学」と捉える。 こうして,本論考の「学校数学現成論」は,「学校数学形態形成学」の導入を含蓄する。 |