Up | 「授業等価 」論の方法 | 作成: 2013-02-08 更新: 2013-06-11 |
<学校数学=生態系>に,子どもが組み入れられる。 子どもは,その中で教育される。 このとき,「教育の意思」がそこにあるから教育が実現する,というのではない。 《生態系の中に存る》が《教育される》になるのである。 実際,《生態系の中に存る=教育される》が,生物一般における「教育」の意味である。 本論考は,なぜ「教育の意思」を用いようとしないのか。 教育は,「教育」として意思されたものが教育にならず,「教育」として意思されないことが教育になる,といったものだからである。 本論考は,「授業等価」の「等価」を,「価値が立たない」の意味で用いる。 「もとより価値が立たないものから,価値で並ぶというものではない」という論理である。 実際,<価値>は<交換>から生ずる。 <交換>があって,<価値>がある。 そして,生態系に<交換>はない。 学校数学は生態系であり,授業は生態系の事態である。 授業に<交換>は立たない。 よって,授業に<価値>は立たない。 ──「授業等価」というわけである。 |