Up | 要 旨 | 作成: 2010-10-16 更新: 2012-12-12 |
「数学の勉強」は,現象として存る。 そして多様である。 実際,ひとにとっての「数学の勉強」は先ず学校数学の勉強であるが,これは「何でもあり」を現している。 探求行動としての「数学の勉強」のように,学校数学の勉強と区別される数学の勉強がある。 そして「学校数学の勉強と区別される数学の勉強」の方も,「純粋数学のテクストの自学習」でさえ,多様なものとして考えられることになる。 この多様性は,「本質に溯れば一通り」というものではない。 そこで,「数学の勉強」は,カギ括弧つきとになる。 ここで,「数学の勉強は何のため?」の問いに戻る。 この問いは,「勉強した数学は使うことになるのか?」の問いを経由した「無用の数学の勉強は何のため?」の問いである。 実際,一般者の「数学の勉強」は,勉強した内容を使うようにならないものである。 勉強した内容を使うようにならないのが,一般者の「数学の勉強」である。 本論考がここで主題化する「数学の勉強」は,この一般者の「数学の勉強」である。 これを,カギ括弧つきの「数学の勉強」で表す。 本論考の謂う「数学の勉強」は,「無用の数学の勉強」であり,「使う数学の勉強」を除外したものである。 |