数学教育の<なに・なぜ>は,伝統的に,「数学を教える」と「数学で教える」の二極図式で,考えられてきた。
二極図式ということでは《実質陶冶 -対-形式陶冶》の二極図式もあるが,ここでは《「数学を」-対-「数学で教える」》は《実質陶冶 -対-形式陶冶》と同じ意味で使われているとする。すなわち,数学で教えようとするものが「形式」である。
学校数学は,「数学を ─ 数学で」を二極にした振り子運動 (10年ないし20年周期) を続けている:
- 「生活単元学習」は「数学で教える」の極にある。
- 1970年代の「数学教育の現代化」は,「数学を教える」の極にある。
- 「現代化」が失敗し替わって登場してきた「問題解決学習」(NCTM, 1980 : "An Agenda for Action : Recommendation for School Mathematics of the 1980s") は,「数学で教える」の極に近い。実際,数学で教えようとするものが,「問題解決ストラティジー」である。
- 「数学的な考え」は,「数学を教える」と「数学で教える」の中間点から両方向に伸びる感じになる。
振り子運動は,学校数学に限らず,人間社会のいろいろな現象に見られる。
そのメカニズムは,つぎのようになる:
- 状況に不具合・矛盾が感じられるとき,<なに・なぜ>が問題意識にのぼる。
このときひとは,<なに・なぜ>の問題に対する答えを,思いつきでつくってしまう。
(思いつきの答えで納得する。)
思いつきの<なに・なぜ>から,思いつきの<いかに>に進む。
この思いつきの<いかに>が,しばらくの期間,組織・社会を席巻する。
- 思いつきの<いかに>は,うまくいかない。ただ問題を余計に増やす。
失敗が明らかになり,撤退となる。
- 組織・社会は,従来型に戻ってしばらく安定する場合もあるが,主役交替の力学で以て単純な180度転換になるのがふつうである。
単純な180度転換になるのは,失敗サイクルが世代忘却されるためである。
──新世代が,再び失敗サイクルを起動する。
振り子運動は,人の組織・集団の運動の一般形であり,活性をコンスタントにつくりだすという意味では合理的なものである。
そして,学校数学もこの振り子運動をしている。
それは,およそ10年ないし20年周期になっている。
(行政の学習指導要領改訂は,この振り子運動と重なっている。)
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