Up | ひとは,肝心を抜かす | 作成: 2017-05-15 更新: 2017-05-15 |
肝心を抜かしていることに気づかない。 実際,肝心とは,つねにこういうものである。 肝心は,「自分は肝心を抜かしてきた!」という形で気づくものである。 そして,肝心を抜かしてきたことに気づかせるものは,年季である。 数学教育学の道に入る者が抜かすことになる肝心は,「数学教育」の「数学」の押さえである。 彼らは,「数学教育」の「数学」を,「それは何ものであるか?」とことさら問うべきもののようには思わない。 この意味で,「数学教育」の「数学」を自明のものにする。 「数学教育」の「数学」は,数学とは違う。 一方,「数学教育」の呼称は,「数学教育」の「数学」を数学だと思っている この体で数学教育学を営めば,おかしな論攷で溢れかえることになる。 |