Up 改めて「数学とは」から 作成: 2017-08-03
更新: 2017-08-03


    数学教育は,「数学教育はどうあるべきか」の論で回転している。
    「数学教育はどうあるべきか」の論は,数学教育をあるべき形へ改めていくものではなく,数学教育の回転を維持するものである。
    「数学教育はどうあるべきか」の論が無くなるときは,数学教育が無くなるときである。


    「人材」は,「員の要件を満たす者」である。
    そこで「数学教育はどうあるべきか」の論は,つぎが内容になる:
      「員の要件は何か?」
      「どんな教育方法が,要件充足者養成になるか?」

    この論は,数学を<手段>と定めるものになる。
    この論形は,「数学」と呼ばれる。
    「数学」は,「無用にただ数学を教える」の意味で「数学」を対置し,そしてこれを却ける立場である。

    「数学」は,いまは「数学リテラシー陶冶を」である。
    その前は「数学問題解決能力陶冶を」であり,そのもう一つ前は「数学考え方陶冶を」であった。


    「数学」は,空論になる。
    数学の授業は,「数学を教える」の他にはならない。
    「数学」は,数学教育学や教育政策までであり,授業に降りたら「数学」になる。

    このことの要点は,《現前に対しひとは思い込みをいろいろできる》である。
    「数学」は,授業に対する<思い込み>である。
    そして,<思い込み>は授業では形にならない。

    「数学」の思い込みは,数学とはそもそも何かをわかっていないことが,これのもとである。
    こうして本論考「数学教育とは何か?」は,「数学」のそもそも論から始まる。
    ──ただし,論を重くしないために,ごく軽量で済ませるとする。