Up <生きる>の自己目的化 作成: 2017-07-31
更新: 2017-07-31


    個は,生じてしまった/生まれてしまったものである。
    そして<生じてしまった/生まれてしまった>は,<システムの中に生じてしまった/生まれてしまった>である。
    個の<生きる>は,<システムの中で生きる>になる。

    個にとって,システムは所与である。
    所与は,その中に棲んでいるときには見えない。
    所与は,これの外に出て,はじめて見えるものである。

    自分の所与が見えない位相では,個の<生きる>は<生きるために生きる>になる。
    即ち,<自己目的化した生きる>になる。


    所与は,これの外に出て,はじめて見える。
    自分の所与の外に出るとは,自分の所与とは異なる所与に棲む者が存在しているのを見ることである。
    このとき,自分がその中に生じてしまった/生まれてしまったシステムは,「偶然」と捉えられるものになる。
    ひとはこの「偶然」を,「運」とか「運命」と呼ぶ。

    「運」の形は劇的に違う。
    《自分の不運・不遇を嘆く》《他人の不運・不遇に同情する》になったりする。
    自分の<生きる>を対象化しこれに説明をつけたくなるのは,だいたいがこの位相においてである。