Up 没論理 作成: 2017-07-27
更新: 2017-07-27


    日本の数学教育は,藤沢利喜太郎による西欧数学の移入で始まる。

    藤沢利喜太郎は,学校数学の方法として,「数え主義」「分科主義」を唱えた。
    「数え主義」「分科主義」の意味は,「構成主義」である。
    なぜ構成主義か?
    「構成」を知らないことは,没論理をやることだからである。
    藤沢利喜太郎は,数学者として,没論理を嫌う者である。


    数学教育/数学教育学の世界は,「自然淘汰」が起こる生態系である。
    この自然淘汰は,《教育者が数学者に代わる》というものになる。
    藤沢利喜太郎,小倉金之助,塩野直道へと順に遷っていくというわけである。

    この自然淘汰で,学校数学は「構成」を無くしていく。
    好例が,「数直線」である。
    「分科主義」の(たが)が外れると,このようなものが出てくる。
    数の和・積や量の比例関係を数直線で説明する者が現れ,そして彼らが主流になる。

      数の和・積や量の比例関係を数直線で説明することは,数学では循環論法になる:
        数 → 実数 → 実数係数計量線型空間 (ユークリッド空間)
          →「数直線」→ 数


    没論理は,「問題解決」「リテラシー」の「理論」によっても,強化される。
    「問題解決」「リテラシー」は,《結果を得るためにいろいろなものを工夫して使う・使い回す》だからである。
    実際,この立場では,「数直線」の循環論法は肯定されるものになる。

    没論理の問題点は,《没論理を知らないで没論理をやる》である。
    没論理は,これを確信犯的に行い,そしてこのことを伝えているのならば,問題はない。
    学校数学に現れる没論理の問題点は,この<伝える>が無いことである。