Up 田植歌 作成: 2018-10-19
更新: 2018-10-19


       宮本常一『忘れられた日本人』, pp.108,109 (岩波文庫ワイド版)
    「昔は田植歌もずいぶん歌うたっていう事じゃが ‥‥」
    「これの爺やの爺にあたる人がのう、ひょうきんなんで、歌が上手で、田植ごろになると太鼓一つもって、あっちこっち田を植えているところの畦へ立って、太鼓をたたいて歌をうとうたもんじゃちうて爺やが話しよりましたがのう。
    わしらの若い時には、そういう面白い人はあんまりおらだったが、それでも歌の上手な人はあって田の畦で歌をうとうてもらう。するとわしらもそれにあわせてうたう、歌にあわせると手も調子がついて仕事がはかどったもんでありました
    「ずっと昔には太鼓打ちゃ音頭とりがたくさん出て、早乙女もたくさん出て、植えるような事もあったじゃありませんか」
    「はァ、そがいなことも時折ありようりましてのう。三年に一ぺんか五年に一べん、長い病気のなおった祝とか、家をたてたとか、めでたい時に財産のあるものが村中の女をたのうで牛もみんな出てもろうて、その家で一ばん広い田で何十匹ちうほどの牛を入れて代をかいて、そのあと田植をしたもんでありました。
    早乙女は緋の着物にたすきをかけて、編笠をかぶって、音頭とりが音頭をとって、そりゃァあっばれなものでありました。
    それで大田植があるというとあっちこっちから、越度(えつと)見に来たもんでありました。
    昔にはの、今とちごうてたのしみというものがすくなかった。それで人があつまる事があると、仕事であろうが何であろうが、歌をうとうたり踊ったりすることが多うかったもんで‥‥。田植ごろになると、いそがしうはあったが、こうしてみんながあつまって仕事をするのではげみがありますわの‥‥」



  • 参考文献
    • 宮本常一
      • 『忘れられた日本人』, 未來社, 1960.
        • 岩波文庫,1984 (ワイド版 1995)

  • 参考サイト