Up ローカル全体主義 対 グローバル自由ネットワーク 作成: 2021-07-06
更新: 2021-07-06


    中国国民は,天安門事件をインターネット検索できない。
    国民であるとは,大なり小なり,こういうことである。

    国は,国の正義を定める。
    そして各種洗脳システムによって,正義に国民を洗脳する。

    国は,正義を以て統制できる国民をつくろうとする。
    国の正義を揺るがしそうなものを危険と定め,潰すことに努める。
    国は,全体主義体制である。


    国は,グローバルの中のローカルである。
    国の正義は,ローカルな正義である。
    ローカルな正義は,外部によって相対化され,否定される。

    国の全体主義体制は,グローバルな存在形式につねにおびやかされる。
    しかし国は,鎖国することはできない。
    鎖国は,国力を弱め,世界の中で生きられなくする。

    インターネットは,国の全体主義体制をおびやかすグローバルな存在形式の一つである。
    且つ,最大・最強のものである。

    インターネットは,国の正義に,<自由>として対してくる。
    正義を,<不自由>として現す。

    インターネットは,本質的に自由である。
    ネットワークトポロジーに中央は存在しないからである。
    インターネットは,《これを使用したい者が,自分のところに延長線を引く》で出来上がっている。
    インターネットに対する「制御」としてできることは,自分が引いた線の制御のみである。


    ひとはもともと,正義と猥雑に自己分裂している。
    (正義は,ひとのすべてを占めることはできない。)
    そして猥雑の部分が,インターネットの自由と共振する。
    正義と猥雑の自己分裂は,国民とインターネット民の自己分裂になる。

    自由ネットワークへの対抗を迫られる国は,デジタル庁を立てる。
    デジタル庁は,国民を統制する情報ネットワークをつくることが理念である。
    そのネットワークは,情報操作によって国民を一通りの考え・行動へと誘導しようとするものである。

    しかし,インターネット民は,行政が運営する情報ネットワークを信用しない。
    行政が自分の不利・不都合を隠蔽するところであるのを,感じるからである。
    アリバイづくりに一生懸命になるところであるのを,感じるからである。
    実際,行政は,そういうものであるほかない。
    なぜなら,行政は<無謬>として立たねばならないからである。

    デジタル庁は,行政が国民番号 (’マイナンバー」) をシームレスに運用できる行政ネットワークをつくったところで,終わりである。
    国民情報ネットワークづくりへは至らない。
    実際,これをつくろうとすることは,使われない道路をつくる(かつ)ての道路公団のようになることである。