Up | 「ビッグバン」パラダイム | 作成: 2019-06-18 更新: 2019-06-18 |
形に縛られるようにせずには,何事も為せない。 科学では,この種の形を「パラダイム」と呼んでいる。 ──トーマス・クーンの主題化により,これがよく理解されるようになった。 科学者は,業績をつくることが生業である。 よって,仕事の最初は,なにがしかのパラダイムにつくことである。 「パラダイムにつく」には,似て非なる2つがある。 一つは,「確信犯的にこれにつく」である。 もう一つは,「これに入信する」である。 「確信犯的にこれにつく」は,稀である。 たいていは,「これに入信する」になってしまう。 理由は,<経験値>である。 そしてここには,「何事も最初が肝心」ということがある。 思慮浅く入信した者は,信者のままキャリアを終えることになる。 ひとは,自分を否定したくない。よって,<これまで>を続けることになる。 さらに,<引っ込みが付かない>のダイナミクスがある。 <転向>は,たいてい自分独りの問題にならない。 あちこちに布教してきて信者をつくってきた者は,いまさら「ごめん,あれは間違い」を言えないのである。 業界に長く棲むと,このような景色を腐るほど見ることになる。 さて,宇宙科学のパラダイムはいろいろだが,断トツは「ビッグバン」である。 断トツになる理由は,<大衆受け>である。 大衆受けがよければ,研究業績が取り上げられやすくなり,研究費を得やすい。 「ビッグバン」は,創世記である。 知りようのない<創世>を,見たきたかのように論述する。 これは,どこまでもフィクションである。 これにつく構えは,「確信犯的にこれにつく」でなければならない。 しかしそのときは,「確信犯的にこれにつく」のポーズを発信し続ける責務も生じる。 大衆は,「ビッグバン」を信じてしまうからである。 ひとは,理屈のわからないことに対しては,権威がそう言えばそっくり信じるという行動をとるからである。 実際,<権威>とはこれができるためにつくられるものである。──<権威>は,機能である。 かくして「ビッグバン」は,今日「ビッグバン」教になっている。 |