Up 原発避難から戻る 作成: 2011-04-05
更新: 2011-04-05


    [時事通信社,2011年4月1日15時29分]
    原発避難から戻る住民=30店舗営業再開、「とどまり続ける」―福島・南相馬市

     福島第1原発の事故で、避難指示(半径20キロ圏内)や屋内退避(同20〜30キロ圏内)の地域が大半を占める福島県南相馬市。屋内退避の地域では、いったん避難した住民が戻り始めている。

     同市中心部の原町地区などで三十数店舗が営業を再開したが、物資不足は深刻だ。食品小売店を営む石沢一二さん(51)は「店は市民の台所」と胸を張るが、品物が届かなくなった。「2日に1度は東京の市場まで300キロ、自分で車を走らせている」。それでもとどまって、営業を続けるという。

     市外に出た後すぐ病院に戻り、診察を続ける原町中央産婦人科医院の高橋亨平院長(72)は「国の言う自主避難は責任逃れだ」と批判した。毎日2回、屋外の放射線値を測っているという。「他に数値が高い場所もあるのに逃げろと言うだけでは、戸惑って不安になるだけ」と憤った。

     高齢者には慣れない生活に疲れ、避難所で風邪や脱水症状を起こす人も多い。「復興しようと腹を決めた人もいる。疲れたら戻って来ればいい。最後まで待っている」と話す。

     海産物店経営の小迫三晴さん(44)は東京都に住む妹の家に避難したが、原町地区に戻った。しかし、大手スーパーに卸す際、昨年の商品にまで放射線検査を求められた。「戻ってみたが、銀行も商品を納める店もない」。店の再開を見送り、東京と行き来しながら様子を見るという。「国の判断で町が崩壊した。店や人の風評被害をどう補償するのか」と訴えた。栃木県に避難した後、同市鹿島地区に妻と戻り、定食店を再開した鈴木良仁さん(36)は仙台市の業者に材料の仕入れを頼んだが、「不安なので取りに来てと言われ、取引を断られた」と話す。学校や病院の体制が整わず、子供と両親はまだ避難所で生活している。「いつ戻って来いと言えるのか」と顔を曇らせた。