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Dawkins (1989), pp.75-78
アブラムシやニレはそんなことをしないのに、われわれはなぜ子供をつくるさいに自分の遺伝子と他のだれかの遺伝子とをまぜあわせるようなやっかいなことをしなければならないのだろう?
こんな方法が生じるのは奇妙なことのように思われる。
単純明快な無性生殖の代りに、性といういかにも奇妙でひねくれた様式がとられるようになったのはそもそもなぜなのだろう?
‥‥‥
有性生殖対無性生殖は、青い目対褐色の目とまったく同様に、単一の遺伝子の制御下にある特性と考えられよう。
有性生殖のための遺伝子は、他の遺伝子すべてを自分の利己的目的のために操作する。
交叉の遺伝子もやはりそうする。
他の遺伝子の写しまちがいの率を操作する遺伝子 (突然変異遺伝子 mutator とよばれる) まである。
定義によれば、この写しまちがいは、写しまちがえられた遺伝子が不利になるようにする。
しかし、もしこのことが、それを誘発した利己的な突然変異遺伝子を利することになれば、その突然変異遺伝子は遺伝子プールじゅうに分布を広げることができる。
同様に、交叉が交叉の遺伝子を利するならば、それによって交叉の存在は十分に説明できる。
無性生殖に対立するものとしての有性生殖が、有性生殖の遺伝子を有利にするのであれば、これによって有性生殖の存在は十分に説明できる。
その遺伝子が個体の残りの遺伝子すべてに役立つか否かということは、あまり関係がない。
遺伝子の利己性という観点からみれば、けっきょくのところ性はそれほど奇怪なものではないのだ。
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- 引用文献
- Dawkins, Richard (1989) : The Selfish Gene (New Edition)
- Oxford University Press, 1989
- 日高敏隆・他[訳]『利己的な遺伝子』, 紀伊國屋書店, 1991.
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