Up | 『風邪を理解する』: はじめに | 作成: 2024-08-27 更新: 2024-08-27 |
ひとにとって風邪は,風邪の症状──喉が痛い・熱が出る・体がだるい──のことである。 そしてこの症状を病気とし,この症状が無くなることを治癒だと思う。 医療産業は,症状を病気と勘違いする大衆に便乗して,これを商いとするものである。 即ち,<喉が痛い・熱が出る・体がだるい>を散らす物質を開発して,これを薬として売る。 ひとは,薬が風邪の症状を散らしたことを,病気の治癒だと思う。 こうして,風邪は薬が治すものだと思うようになる。 病院は,薬が風邪を治すと勘違いする大衆に便乗して,これを商いとするものである。 即ち,薬の処方を商いとする。 風邪は,風邪ウィルスの感染である。 感染した体は,感染を収めるメカニズムを発動する。 風邪の症状──喉が痛い・熱が出る・体がだるい──は,このメカニズムの現象である。 これは,体が必要として起こしている。 ところがひとは,体が必要として起こしているものを病気だとして,これを薬を用いて無くそうとする。 体が必要としているものを強制的に無くすわけであるから,感染の事態は長引くことになる。 しかしひとは,風邪の症状を薬で散らして治ったと思っているので,このことを知らない。 ひとは対症的に薬に頼ることで,体を 風邪ウィルスは,感染するものである。 体も,感染を受け入れるようにできている──そのように進化してきている。 生き物は,自分よりずっと小さい生き物を養うようになっている。 これは,生態系の含意である。 生態系の理に抗う者は,体を歪にし,弱めることになる。 体は,生態系に生かされる体として進化してきているものだからである。 他の生物との共生に抗う生活は,体を歪にし,弱めることになる。 現代になって急速に増えたアレルギー症とかの免疫不全症は,これである。 こういうわけで,風邪を理解することは,生態系の理解へと拡がる。 本論考は,だいたい以上の主旨で,ひとに風邪に対する理解を促そうとするものである。 このとき問題となるのは,その論法である。 理論は,ただ展開しただけでは,ひとの頭を素通りして,頭に残らない。 そこで論法を工夫することになる。 理論の論法は,学の方法論に準ずる。 その方法は,理論の論理と構造を見やすくすることである。 本論考も,このようにする。 即ち,セクションを努めて細かく区切るようにする。 文系の論文だったら文字を隙間無く詰め込んで1ページに仕上げるところを,本論考はあたかも目次をつくっているようなスカスカのスタイルにする。 実際,このスタイルは,後から書き加えをするのにも都合がよい。 |