Up | 『中論』は,読めないテクストである | 作成: 2014-09-11 更新: 2014-09-13 |
つぎの形の言い回しの連なりである:
では,中村元『龍樹』の『中論』は,何なのか? 中村元『龍樹』は,『中論』の言っていることはこうだを,『中論』注釈から導くものである。 これは,無理矢理の翻訳というふうになる。 実際,その翻訳は,『中論』の文言とぜんぜん対応していない。 『中論』注釈者の方は,なぜ注釈できたのか? ナーガールジュナの考え方を聞いている,ないし伝え聞いているからである。 仏教は,「でない」を連ねるのを,表現の方法にする。 なぜか? 「である」を言えば,間違いになるからである。 逆に,「でない」を言うのは間違いにならない。 そして,これをたくさん連ねれば,「ネガ・ポジ」の関係で真理を浮かび上がらせた気分になる。 例えば,「空(そら)の色」を教えるときは,
「赤であれば,理が立たない (よって赤ではない)」 ‥‥ どうして,こんな言い方を開発することになったのか? 「尊士」は「無謬」でなければならないからである。 「尊士」を務めることは「無謬の者」を務めることである。 間違いにならない言い方は,専ら「でない」を言うことである。 |