Up | 数学 | 作成: 2010-03-26 更新: 2020-03-11 |
実際,形式が,数学の研究対象である。 数学に「構造」のことばが出てくる。 これは,「形式」と同義である。 したがって「形式の学」は,言い換えれば「構造の学」である。 数学は,形式言語である。 文字 (記号),語生成規則,文生成規則,公理,推論規則を構え,ここから数学の生成が開始される。 数学の実質的な対象は,「数」のみである。──これは構成される。 Cf. 自然数の構成 数学の中の<対象>で数以外のものは,「条件‥‥を満たすもの」というふうに導入 (定義) されるものである。
最も還元したレベルは,形式言語である。 記号と文法を定めるところから,始める。 つぎに真理値を導入し,推論規則を定め,出発点にする真理命題 (公理) を定める。 以降,推論によって真な命題 (定理) を導き,定義によって新しい概念を導入するという形で,体系の構築が進行する。 数学のこの方法を,構成主義と謂う。 数学は,構成主義を方法論にしている。
Bourbaki の『数学原論』は 1930年代に開始された数学テクスト作成プロジェクトであるが,構成主義を学ぶのに最良の数学テクストは,以来ずっとこれである。 構造は,これを構造としてもつところの物とは別のものである。 構造の学である数学は,物の世界に応用される。 ただし,数学と応用の関係は,「数学は応用され得る」であり,「数学の目的は応用」ではない。 数学には,「応用を目的としていないことが,却ってよい応用を生む」という面がある。 数学の構成主義の方法は,数学をある程度専門的にやらないと,身につかない。 数学の各主題は構成の中に位置づき構築の順番に縛られているのだが,構成主義の方法とこれまで無縁でやってきた者は,数学を博物学のように見てしまう。 すなわち,数学の各主題をバラバラに見て,単独に取り出す。 そしてこんなふうに単独に取り出した主題Aから主題Bを導こうとするときは,決まって循環論法をおかすことになる。 数学の方法論としての構成主義がわからない限り,循環論法は矯正されない。 矯正されない循環論法は,数学における「モンスター」である。 一般に,ひとは,経験値の低い領域では,自分の思いつきの理屈で満足する者になる。 この領域で経験値を積むほどに,ひとは自分に懐疑的になり,謙虚になる。 一見逆のようだが,事実はこの通りである。 |