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小林秀雄 (1977),新潮文庫版 上, pp.252,253.
彼のこのような、現実派或は実際家たる面目は、早くから現れて、彼の仕事を貫いているのであって、その点で、「古事記伝」も殆ど完成した頃に、「古今集遠鏡」が成った事も、注目すべき事である。
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宣長は、「古今」に限らず、昔の家集の在来の註解書に不満を感じていた。
なるほど註釈は進歩したが、それは歌の情趣の知的理解の進歩に見合っているに過ぎない。
歌の鑑賞者等は、「物のあぢはひを、甘しからしと、人のかたるを聞」き、それで歌が解ったと言っているようなものだ。
この、人のあまり気附かぬ弊風を破る為には、思い切った処置を取らねばならぬ。
歌の説明を精しくする道を捨てて、歌をよく見る道を教えねばならぬ。
而も、どうしたらよく見る事が出来るかなどという説明も、有害無益ならば、直かに「遠めがね」を、読者に与えて、歌を見て貰う事にする。
歌を説かず、歌を訳すのである。
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このような仕事に、「うひ学び」の為、「ものよみしらぬわらはベ」の為に、大学者が円熟した学才を傾けたのは、まことに面白い事だ。
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「本居宣長」が示してくる「数学教育」は,「数学の勉強のしかた」「わかる数学」のテクストづくりである。
- 引用文献
- 小林秀雄 (1977) :『本居宣長』, 新潮社.
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