Up | 本居宣長の漢才批判 : 要旨 | 作成: 2018-06-26 更新: 2018-06-26 |
「日本型」を言い出す者は,過去ないし現在「日本型」を説いている某かの<権威>を,心のうちに持っている。 そして,そのような者たちが,互いにもたれ合う格好で,「日本型」を言い出す。 もっとも,基盤は<もたれ合い>であるから,小出しにおそるおそる言い出す,となる。 このときの<権威>のうち,格別の存在として,本居宣長がある。 丹念な古語研究の上に「やまとたましひ」とか「 本居宣長には,学者の面と表現者の面がある。 学者宣長は「もののあはれ」の学者,表現者宣長は「やまとたましひ」の表現者である。 「日本型」の権威の宣長は,表現者の方である。 「表現」は,「嘘をつく」である。 本論考も,確信犯的に「嘘をつく」をやっている。 「表現」は,メタファーである。 真に受けるものではない。 「日本型」は,真に受けるものではない。 そこで,「本居宣長」の正しい用い方を,ここで押さえておくことにする。 ただし「正しい」は,「間違いのない」の意味である。 それは,《「もののあはれ」を採り「やまとたましひ」を却ける》である。 |