Up 比較 :「日本発」 作成: 2018-06-15
更新: 2018-06-23


    「お国柄」ということばがある。
    事物「○○」が,国/地域によって様々な形をとるというわけである。

    さてこの場合,どんな「○○」と国/地域の組み合わせが,「お国柄」になれるのか。
    このような問いを立てるのは,「日本の思想」のようなことばを見るからである。
    「お国柄」は,「○○」と国/地域が小さなカテゴリーだと有効な概念になる。
    しかし,「思想」と「日本」のような大きなカテゴリーにまで拡げると,概念の有効性があやしくなる。


    ひとは,物事を因果で考える癖がある。
    「日本の思想」の主題を立てる者は,「日本人の心」を措定する者になる。

    因果で考える癖は,ことばの影響である。
    ことばの習得は,内包と外延の相互フィードバックの習得である。
    そしてこのとき,内包が因に,外延が果になるわけである。

    原因溯行は,さらに「日本人の心の源」の考えに進む。
    考えは,奇っ怪・荒唐無稽の度を増していく。

    ひとが癖にしている因果の考えは,間違いである。
    ひとは因果を1対1の格好で考えてしまう。
    しかし,事物の変化は,ミクロな因果が複雑に複合した現象である。
    1対1の因果の形にまとめられるものではない。


    では,「日本の」は,どんなふうに用いればよいことばなのか?
    「日本発」である。
    対して,「日本型」を立てると,おかしくなる。
    「日本人の心」のように,無いものを立ててしまうことになる。

    「日本型」は,幻想である。
    幻想かそうでないかの議論を今から開始するような主題ではない。
    「日本型」を主題化する形は,
      《だれがどんなとき「日本型」を立てたくなるのか?》
    である。