Up | 「色即是空」 | 作成: 2018-11-01 更新: 2018-11-01 |
そこで,これに触れておくのが,幻想論の導入として便利である。 山を見れば木は見えず,木を見れば山は見えない。 存在は,存在階層を上や下にシフトすると,消える。 逆に,存在階層のシフトによって,無かったものが現れる。 存在とは,そのようなものである。 これが「色即是空 空即是色」である。 「色即是空 空即是色」は,意味深なことを言っているのではなく,当たり前のことを言っている。 存在 (「色」) を措定するのは,認知 (「受想行識」) である。 そこで,「色即是空」の応用として,「無受想行識」が出てくる:
ブッダは,求道者である。 「色即是空」「無受想行識」の幻想論は,途上である。 しかし,後世の者は,ブッダを完成者にする:
幻想論は,アイデアを言って「完成」ではない。 内容こそが,幻想論の本格的課題である。 幻想論の立場は,「求道者ブッダ」である。 ブッダの時から今日まで,ひとが積んできた科学的知識は膨大である。 いまの時代の幻想論は,この知識の質量に見合うだけのものでなければ恥ずかしい。 「羯諦 羯諦 波羅羯諦,波羅僧羯諦,菩提薩婆訶」は,幻想論構築の営みへのエールないし喝と受け取るべし。 |