Up 「神」 作成: 2018-10-16
更新: 2018-11-05


    生きることは,いろいろ難儀である。
    ひとは,難儀を軽くしたいと思う。

    難儀は,難儀の意味・理由がわからないことが難儀である。
    そこで,難儀の意味・理由がわかることが,難儀を軽くすることになり得る。
    ここに,宗教の出番がある。

    宗教は,難儀を「定め」と説く:
     「 難儀には,奥深い意味・理由がある。
    実際それは,神の配慮である。
    ひとにその配慮は理解できないから,神に自分を委ねよ。
    ひとは,これを聞いて安心する。

    これでは何も解決してない」と思ってはならない。
    まさに,「人はパンのみにて生くるものに非ず」というわけである。
    ひとは,不条理が耐えられない生き物である。
    納得の境地を得れば,死を観念することも易い。


    そしてひとは,「神の配慮」の考えを受け入れる素地を,既に形成してきている。
    自然に対して抱く「完璧」の感情である。

      「The year's at the spring
       And day's at the morn;
       Morning's at seven;
       The hill-side's dew-pearled;
       The lark's on the wing;
       The snail's on the thorn:
       God's in His heaven--
       All's right with the world! 」(Browning)
      「天網恢々疎にして漏らさず」(老子)


    宗教は,現成論 (「()前は道理の()就」) になる。
    現前は,神の理の現れでなければならないからである。

    ちなみに,下手な宗教の下手は,<言い過ぎる>に有る。
    ことばを多くすると,矛盾を言うことになる。
    現実と背反することを言ってしまう,になるのである。