Up アヴァンギャルド : 要旨 作成: 2019-05-24
更新: 2019-05-25


    人の<生きる>は,<人の間に生きる>である。
    <人の間に生きる>は,個に対する制御を含意する。
    個は各種制御を<しがらみ>として受け取り,これを甘受する。

    <しがらみ>は,行儀の強要である。
    これはストレスになる。
    ひとはこのストレスを忍耐して生きることになる。

    しかし,体質的に<行儀が苦手>な者がいる。──「(精神)発達障害者」。
    また,行儀をよく知らない者がいる──「子ども」。
    彼らは,<しがらみ>への反逆を意図的・非意図的に現していくことになる。


    反逆の直接的な方法は,<行儀とは逆のことをする>である。
    これを「反抗」という。

    反逆の方法にはもう一つ,<行儀を解体する>がある。
    そして「解体」は,物理的と観念的の二つが立つ

    物理的解体は, 「テロ」である。
    体制転覆の規模に成長した「テロ」が, 「革命」である。
    昔々,カミュ=サルトル論争というのがあって,『革命か反抗か』というタイトルの本になった。しかし反逆は,この二者択一に限られるわけではない。

    観念的解体を,その構えと実質から,ここでは「アヴァンギャルド」と言うことにする。
    これには,つぎの3類型が立つ:
    • 反体制イデオロギー
    • アート
    • 科学


    反体制イデオロギーは,「正義」を用いることを特徴とする。
    体制を悪にして,反照的に己を正義にする。
    これに悪者退治の戦争論を加えれば,革命イデオロギーになる。
    戦争論を持ち堪えられない者は,《悪者を告発し,彼らが社会的に抹殺されるようにする》を手法にする。
    <ヘイト>を喚起するというわけである。

    アートとここで謂うのは,「表現」である。
    「表現」は,《体制に馴染めない自分を持て余すところから,体制に馴染めない自分の表現へと向かう》というものである。
    哲学の存在論は,この「アート」に位置づけられる。

    だが存在論は,科学が形になるものである。
    実際,科学は即ち存在論である。
    しかし科学は「体制の観念的解体」か?
    そうである。
    地動説が体制側の攻撃するところとなったのは,体制の観念的解体だったからである。
    進化論が体制側の攻撃するところとなったのは,体制の観念的解体だったからである。


    一つのアヴァンギャルドがひとの共感・賛同を得てメジャーになると,つぎはこれが<体制>になる。
    その他のアヴァンギャルドは,痕跡をとどめず消え去る。
    実際,体制はこのダイナミクスで進化する。

    アヴァンギャルドには,ブーム,ファッションになるものもある。
    それらは疾く厭きられて消え去るのであるが,そのうちにも,消えて無くなるのが惜しまれて原物/原形保存されてきたものがある。
    「古典」はこのようなものである。 (強調 : 古典はかつてのアヴァンギャルドである。)