Up | 絵 | 作成: 2019-08-02 更新: 2019-08-02 |
ひとはこの絵を拡大像のように受け取るからである。 「拡大」は,「自分が小さく縮めばこう見える」である。 存在階層の概念の趣旨には,「自分が小さく縮めば」の想いを却けることが含まれる。 そこで存在論は,「見える」の意味を改めて押さえておくことになる。 「見える」は,人の存在階層の事象である。 この内容は,光の効果と作画技法である。 ひとは「見える」を客観的なものに思う。 物を写真にとれば,同じものがそこに見える。 「写真に人為は無いから,客観的だ!」 事実は,写真は人為である。 デジタルカメラは,画素において,そこに届く光を赤緑青 (RGB) の強度分布に表現する。 そしてこのデータをコンピュータファイルにする。 コンピュータの画像ソフトは,コンピュータの画素をデータの値で発色させる。 発色するのは,ディスプレイに埋め込まれている発色物質である。 写真が物の見たまんまになるのは,人だけである。 昆虫や鳥には,その写真は物の見たまんまにはならない。 光の強弱のみを捉える黒白写真も,同じことである。 ひとの想う像に近づける作為を,感光物質の選択と現像の二つのステージでやっている。 物の色は,発色物質の場合は,その発光が人の目に届くときの波長分布である。 そうでない場合は,何かの光が物に照射した場合で,物に吸収されないで乱反射して目に届く光の波長分布である。 直接目に届かない場合は,その波長分布を画像処理して,人が想う像に馴染むものにする。 原子が「見える」は,原子に反射されるような光 (電磁波) を用いてその反射光を感光物質で捉え,その感光物質の内部模様を数値化し,そしてこの数値データを絵にする,というものである。 原子は,物理学のテクストに載っている絵のように見えるのではない。 では,物理学のテクストに載っている原子の絵は,何ものなのか。 原子模型の絵である。 模型は,写しでなく表現である。 表現の趣旨は,<推理に役立つものにつくる>である。 |