Up | 「善悪の彼岸」立論──文学論 | 作成: 2019-07-22 更新: 2019-07-22 |
背徳は,共同体において不利な立場に立つことである。 文学は自分の肯定になる理屈をつくろうとする。 こうして,文学論に向かう。 この理屈は,「善悪の彼岸」になる。 「悪の肯定」はあり得ないからである。 「善悪の彼岸」は,絶対的ダイナミクスの措定がこれの形になる。 例えばつぎのように:
「悪人正機説」と呼ばれる下りであるが,ここで「他力」といっているのが,「絶対的ダイナミクス」である。 他力の理は,ひとが推し量れない。 よって,「他力」を立てることは,そのまま「善悪の彼岸」を立てたことになる。 このとき「善悪」のことばは,「勧善懲悪」の「善悪」ではなくなり,他力を信じない者と信じる者を区別することばになる。 この論法は,「善悪の彼岸」立論のやり方を示している。 立論の要点は,善悪を何にシフトすればよいかである。 ここで,「善人」を,「自力作善の人」にする。 「善」は,彼らの作為である。 ──それ以上でも以下でもない。
親鸞には,善人より悪人の方にシンパシーをもってしまう自分がいる。 この自分を肯定しなければならない。 自分を肯定するために,悪人を肯定しなければならない。 そして紡がれたのが「悪人正機」のあざといレトリックというわけである。 |