Up | 自然へ──存在論 | 作成: 2019-07-22 更新: 2019-07-22 |
目の前にあるのがそれである。 即ち,自然である。 仏教の中に,これを説く一派が現れる。 禅である。 仏教の教義・典籍は,内容を荒唐無稽にしていく。 この荒唐無稽に対する構えは,二通りになる。 幻想として直視するか,自らを騙すかである。 そして直視することにしたのが,禅である。
この禅には,現前だけが残る。 こうして,「現成」が禅のコンセプトになる。 しかしこれは,ブッダの立ち位置に戻ったということである。 そして禅は,コンセプトより先に進めることができない。 禅は,やることを無くす。 ブッダないし禅は,存在論のコンセプトのレベルで立ち止まっている 実際,コンセプトに内容を埋める作業は,思念ではない。 科学である。 |