Up "Die gorße negaive Möglichkeit" のテクストについて 作成: 2015-05-31
更新: 2015-05-31


    "Die gorße negaive Möglichkeit" は,バルト著 Der Römerbrief の一章である。
    Der Römerbrief は,新約聖書の『ローマ人への手紙』に対するバルトの読解である。

    わたしがこのテクストの存在を知ったのは,佐藤優『国家論』からである。
    佐藤がこの著の中で取り上げているバルトのテクストを見て,わたしはこれは「現成論」の一つと受け取った。
    そこで,"Die gorße negaive Möglichkeit" をわたしの「現成論」サイトの一角に据えようというわけである。


    わたしはドイツ語がダメなので,翻訳本を当てにすることになる。
    そしてこのとき,「翻訳本」の問題に突き当たる。

    翻訳には,直訳と意訳がある。
    チープな翻訳ソフトは珍妙な訳を出力するが,これが直訳である。
    翻訳者は意味が通るように翻訳しようとする。
    しかしこのときの「意味が通る」は,「自分にとって意味が通る」である。
    これが意訳というものであり,したがって,意訳は自ずと原テクストの意味を曲げるものになる。

      実際,<テクストを読む>で行っていることは,<ことばの意味をたどる>ではない。
      <読む>は,<テクスト作者の世界観を当て込む>と<当て込む世界観をその都度調節>の作業である。
      思想書の初心者は,思想書を難解なものにする。
      実際は,<ことばの意味をたどる>で読もうして,これができないのを「難解」ということにしている。
      その者に欠けているのは,読解力ではなくて,世界観である。
      <テクスト作者の世界観を当て込む>,<当て込む世界観をその都度調節>の作業に要する「世界観」を持ち合わせていないので,読めないということになる。

    Der Römerbrief には,邦訳がある。
    これは,意味が通る訳になっていない。

    一般に,「意味が通らない」にはつぎの二つの要素がある:
      • ナンセンス
      • 文の構造が不明
    「ナンセンス」で「文の構造が不明」な文を,例としてつくってみる:
      「 前節からの帰結においても,実際疎外は溯行するのだが,ひとは究極が減少しつつその都度溶融を獲得し──そしてそれは件の転回運動における上昇である──領分を獲得することの関接として分野の対照を開示し,また阻却することの関接として跳躍し,結果として,これを修飾するのである。」
    「ナンセンス」の内容は,「本来互いに結びつかない語が,結びつけられている」である。
    「文の構造が不明」の内容は,「この語句がどこにかかるのかが不明──可能なかかり方が複数存在する」である。

    一般に,長い文をつくると「文の構造が不明」になる。
    (長文は悪文である!)
    それでも日本語は,英語と比べたとき,「文の構造が不明」がひどくなる。
    英語は,関係代名詞・関係副詞が,文の構造化の助けになる。

    Der Römerbrief の英訳 The Epistle to the Romans (E.C. Hoskyns) は,「文を構造化できる」の意味で,読めるテクストである。
    しかしこの「読める」が,くせものである。
    この英訳は,意訳の度合いがけっこう高いのである。
    諸処「この原文からどうしてこんな訳文が出てくるのだ」となる。

    だったら原著にあたれよ」となるのだが,繰り返すがわたしはドイツ語がダメなのである。
    意味が通らない訳文を原文と対照するのに少し時間を費やすくらいのことはやっても,原文とみっちり対峙することに時間を費やしたくはない。
    というわけで,ここでは "Die gorße negaive Möglichkeit" の E.C. Hoskynsによる英訳 "The great negative possibilities" を以て,「カール・バルトの現成論」のテクストとする。
    「細部では原義を外れるところが諸処あるとしても,大局では "Die gorße negaive Möglichkeit" の趣意が通っている」と考えようというわけである。


    文献