「世界=内=存在」の術語が,つぎのように導入される:
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細谷貞雄訳『存在と時間 (上)』, pp.130-131.
現存在とは、みずから存在しつつこの存在にむかつて了解的に態度をとっている存在者である。
こうして、実存ということの形式的な概念が告示された。
すなわち、現存在は実存する、のである。
さらに、現存在とは、いつも私自身である存在者である。
こうして、現存在には各自性がそなわっていて、これが本来性と非本来性の可能条件をなしている。
現存在はいつもこれらふたつの様態のうちのどちらかにおいて実存しており、あるいは、両者の様態的無差別相において実存しているわけである。
ところで、ここにあげた現存在の存在規定は、われわれが世界=内=存在 (das In-der-Welt-Sein) となづける存在構成をもとにしてアプリオリにみとどけられ、かつ了解されなくてはならない。
現存在の分析論の正しい手がかりは、この存在構成を解釈することによってつかまれるのである。
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