Up | 良寛 :「災難に逢ふ時節には ‥‥」 | 作成: 2009-01-23 更新: 2018-07-19 |
災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。 是はこれ災難をのがるる妙法にて候。 |
これが,「災難をのがるる」である。 「災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候」の意味は,
実際,いまの自分の「無事」は,<災難に逢ふ時節には災難に逢ふ>が生活になっているということである。 「無事」とは「災難と思っていない」である。 ある者の「無事」は他の者には「災難」と見えているかも知れない。
なぜ自殺して楽にならないのか。 災難はやがて過ぎ去ると思っているからではない。 <災難に逢ふ時節には災難に逢ふ>が生活になっているからである。 災難が過ぎ去ることを待つ者は,変わらない現実に絶望し,かえって自殺してしまう者である。 災難は,ただ受け入れるものである。 「防災・避難」は成らないからである。 「災難」は,「防災・避難」が成らない故に,ただ受け入れるものである。 要点は,災難と不幸は違うということである。 「防災・避難」の失敗は,不幸を生む。 災難は,これに抗って不幸になる。 商品経済はたくましい。 災難を商売にする。 「危機感」「生き残り」を唱って,防災・復興産業をつくる。 そしてひとは,これに騙される。 「危機感」「生き残り」でバタバタやるのは,全体として,悪い方向に向かうことになる。
○「死ぬる時節には死ぬがよく候」 これだと,<生きる>が災難だらけになってしまう。 <生きる>はいつも死と隣り合わせだからである。 「死ぬる時節には死ぬがよく候」の意味は,
備考: よい死を得られなくなる。 これまでやってきたことは,死を以て元の木阿弥になる。 死の前に,ひとは素になる。 素に帰ることが,人生のフィナーレである。 このフィナーレのステージを失するのは,何のために生きてきたのかということになる。 失するのは,準備しなかったからである。
昨日今日とは 思はざりしを」
人生のフィナーレを失しないように準備をするのが, 「出家」である。 「出家」の意味は,「浮き世から降りる」である。 「浮き世」とは,「栄達」をゴール概念にする螺旋運動のことである。 この螺旋運動から脱ける相が,「出家」である。
この「引退」が, 「出家」である。 「出家」の位相理解のための参考文献:
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