Up 競争主義・評価主義 作成: 2009-03-17
更新: 2009-03-17


    国立大学の存在意義は,市場原理主義・顧客主義,競争主義・評価主義に取り込まれないということである。

    <大事>のうちには,市場原理主義・顧客主義,競争主義・評価主義に取り込まれると,壊されてしまうものがある。 このような<大事>が壊されないようにするために,市場原理主義・顧客主義,競争主義・評価主義に取り込まれないで済む大学を「国立大学」としてつくる。

    実際,教育・研究の<大事>は,「業績評価報告書」には乗らない。
    良質な教育は,地道で地味なものである。 研究もそうである。論文の本数や掲載雑誌に還元されるものではない。
    このような<大事>が失われないようにするために,「国立大学」を設ける。

    特に,教員養成などは,市場原理主義・顧客主義,競争主義・評価主義に取り込ませるわけにはいかない。 そこで,「国立の教員養成系大学・学部」の存在理由が出てくる。 (教員養成というものは,集中講義を並べて単位をかせげるようにする,遠隔TV授業でお手軽に単位を取れるようにする,みたいな形ではできないし,やらせてはならない。)


    座右の「アクションプラン」には,つぎの文言がある:
      「大学が行う全ての活動が,評価の対象である。活動はどんなものも評価され,改善されねばならない。」
      「教職員の業績評価」「努力が評価される体制」「給与に反映させる体制を確立」
      「行動と評価が常に一体となった大学運営を実現する」
      「評価文化の定着」
      「大学諸活動を集積するデータベースの完成版を作成」
    これは,教育・研究の門外漢のことばである。 しかし,このことばは,「教員は点数にならないことはやらない」の文化をつくる。(「議員は票にならないことはやらない」の類。) 上に「評価文化の定着」と言っているのが,まさにこれである。

    ちなみに,行財政改革で持ち上げられた「民間」は,いまは社員に対する評価主義から撤退している。 そして,行政機関や「法人化」の国立大学が,後に取り残された格好で,評価主義に邁進の姿を曝す。 おもしろいものである。