Up | 「世界に通用する大学」 | 作成: 2009-03-18 更新: 2009-03-21 |
特に,国立大学は,市場原理主義・競争主義に曝されていないからダメであり (「ぬるま湯に浸かる」「護送船団方式」),市場原理主義・競争主義に曝すことでよくなる,と信じられた。 国立大学の手本は民間企業であるとされ,「株式会社大学」に大学の将来像が見られた。 そして,国立大学の「法人化」が,<大学=企業>モデルによる国立大学の「改革」として,発動された。 興味深いのは,国立大学でも,<大学=企業>の立式がすんなり受け入れられたということである。 学問の専門性が発揮されたなら,この立式における思考停止が指摘されただろうが,そのようなことは起こらなかった。 逆に,<市場原理主義・競争主義に立たない者=危機感のないダメな者>調で「法人化」施策が進められ,この度のアクションプランもこれをそのまま引き継ぐ。 「法人化」の国立大学は,自己評価の項目に「世界に通用する大学となる」を入れる。 「法人化」の国立大学は,<大学=企業>モデルに立つので,「世界に通用する大学」は,<大学ブランド=企業ブランド>で考えることになる。 企業が自社ブランドを世界的にするうえで評価してもらうのは,自社商品である。 <大学=企業>のとき,大学の何が企業商品に対応するのか? 素直なのは,<卒業生=企業商品>である。 しかしこれは,「世界に通用する大学」の内容として中期計画・中期目標に書くものにはならない。 <大学教員=企業商品>か? しかし,大学教員が研究者として国際交流する場合,大学のブランドで交流しているわけではない。 あくまでも個人である。 「有名な研究者を数多く抱える」は大学のブランドになるが,大学が有名な研究者を輩出しているわけではない。 そしてこれも,「世界に通用する大学」の内容として中期計画・中期目標に書くものにはならない。 座右のアクションプランは,「世界に通用する大学」をつぎの形に転じる:
このモデルの要点は,「大学発」である。 ──大学における研究は,本来「個人発」である。どうすることが「大学発」ということになるのか? アクションプランでの「大学発」の発想は,つぎのように単純である: |