Up | 国立大学の法人化とは何か : まとめ | 作成: 2015-03-14 更新: 2015-03-14 |
「法人化」は,小泉・竹中政治の施策である。 小泉・竹中政権は,「財政改革」を課題にもった。 そして,「財政改革」の項目の一つとして,「法人化」が打ち出された。 「財政改革」は,財布を担当する側 (「大蔵省」) の主導になる。 小泉・竹中政治は官僚を悪玉にする格好で自分を善玉に仕立てたが,「財政改革は大蔵省主導」の構造は変わるものではない。
財布を担当する者の「財政改革」は,「経費を抑える・無駄をなくす」になる。 財布担当者は,「削れるところさがし・無駄さがし」に進む。 「削れるところさがし・無駄さがし」をすると,出来高のデコボコが人や組織に見える。 ここで,出来高の高いものを一生懸命働いている者にし,そうでないものはなまけている者にする。 そして,なまけている者には,給与を下げるが応分とする。 「出来高払い」というわけである。 「出来高払い」は,給与全体和では額の減少になるように工作できる。 財布担当者は,これで「経費を抑える・無駄をなくす」が成るとする。 こうして,つぎのような考え方をもつことが善になる時代になった: さて,これでうまくいったかというと,そうはならない。 社会・経済という系は,圧倒的に複雑系である。 そしてこれに対しようとするところの「出来高払い」は,ひどい単純思考ということになる。 複雑系を単純思考回路でいじると,系はグチャグチャになっていく。 「グチャグチャ」の内容に,特に「モラル・ハザード」がある。 短期成果,目に見える成果は無理なことなので,これを強いられる者は,短期成果,目に見える成果の偽装に走る。 例えば,論文のデータ捏造の問題は,これである。 当人は好きで捏造しているわけではない。 成果主義で一旦調子に乗ってしまうと,うまくいかないときにも引っ込みがつかなくなり,深みにはまっていくのである。 科研費も,「出来高払い」の実現になるものではない。 短期成果,目に見える成果を無理矢理つくるというのが,科研費使用の形になっていく。 却って,無駄をやらせるものになる。 しかしこれの効果で,地道にやるのみの研究は,着実に姿を消していく。 モラル・ハザードが風潮になると,これを抑えることが必要になる。 世の中をモラル・ハザードに進ませる施策は,これを抑える施策とペアである。 焚きつけると締めるを同時にやる。 大学は必修科目「倫理・人権」を設けている。 これは上からの指示によって,大学が一斉に行うことになったものである。 「倫理・人権」の科目で,講師は「コンプライアンス」を善として説く。 とんだ思い違いであるが,翻って今日の大学教員のインテリジェンスはこの程度のものに成り下がっているということである。 大学は,伝統的に,「民主主義」イデオロギーの棲むところである。 よって,教員は,「法人化」を「権力と民主主義」の話にしたがる。 こうして,問題の本質を見ることができない。 「法人化」は,「大蔵省」の「出来高払い」の単純思考に世の中が染まった状況の中の,一トピックである。 「出来高払い」から免れていられる者はいない。 「出来高払い」は,「大蔵省」の中の者にも跳ね返ってくる。 「出来高払い」制の上からの指示は,組織の長宛てになる。 組織の長は,この指示を組織の中に降ろしていく。 指示の末端が,一般員である。 ここで,組織を「出来高払い」制にしていかねばならない組織執行部 (経営陣) と,「時間給」を体質にしてきた一般員とが,対立する。 話は,「権力と民主主義」ではない。 この構造では,上下に関係なく全員が,トップダウンのノードの役割を与えられる「悲しき中間管理職」である。 実際,一般員であれ,自分の役割担当において,上下の板挟みになり,そして上意を下に降ろす者になるのである。 こうして,「出来高払い」制は,組織の中に貫徹されていく。 これが「法人化」である。 大学は,短期成果,目に見える成果を,コンスタントに出していかねばならない。 大学教員は,自身の短期成果,目に見える成果を,コンスタントに出していかねばならない。 こんなことが続いてよいのか?を言う以前に,こんなことが果たして続けられるのか? 実際,まともに続けようとしたら,疲弊して壊れる。 自身が疲弊し壊れることがないよう,上手にやっていかねばならない。 その方法は? ロジックとしては,「上手に成果を偽装する」「上手に雑務をサボタージュする」になる。 良い悪いの問題ではない。これも「出来高払い」の含蓄だということである。 「法人化」の意味は,組織が「出来高払い」制になることである。 「出来高払い」施策は,単純思考回路が複雑系をいじるものであるから,これによる系の攪乱の内容はつかみ切れるものではない。 「法人化」の含蓄は,大学のこれからに逐次現されていくことになる。 |