Up シラバスの定型化 作成: 2007-08-07
更新: 2007-08-07


    「シラバスの定型化」は,国立大学法人評価に対するもの。
    執行部にすれば,「お国のため」の経営判断。
    「正論」の視点で言えば,「褒められたいために大事を壊す」がこれのやっていること。

    国立大学が「法人化」の流れに入りかけの頃,「シラバス提出」が教授会に出てきた。 そして,「大学の教育はこんなもんじゃない」がその場の支配的な意見になった。
    時は経ち,「大学の教育はこんなもんじゃない」は無くなった。

    国立大学の教育・研究運営の哲学は,個の多様性の解発(release)・活性化を原理とする自由主義。 なぜなら,これが教育・研究が立つ条件だからだ。
    「シラバスの定型化」のやっていることは:「褒められたい (クレームをつけられるのは嫌)」 のためにこの哲学を「値切る」。


    一般に,「お国のため」の経営判断はこの種の本末転倒に陥る。 そして,<本>を損なうわけだから,これは自組織破壊の行為である。

    このとき,「お国のため」の経営判断は,本末転倒をやっているときの<本>を,たいしたことないものに見ようにしている。 ──本末転倒をやれるために,たいしたことないものに見ようとする。しかも,努めてそう見ようとすれば,そう見えてくる。

    「良心的/理性的徴兵拒否」の趣で「シラバス定型化への参加拒否」の立場があることを,ここで確認しておこう。