Up | 極端論:性悪説・性善説 | 作成: 2009-07-12 更新: 2009-07-12 |
モンスター対策として「モンスターの封じ込め」を考える者が出てくる。 「モンスターの封じ込め」は,「不特定モンスターの封じ込め」であり,よって全ての者を不自由にする策になる。 そこでこの策は,結果的に「性悪説に立った策」ということになる。 これに対し,つぎの異論を言う者が出てくる:
「全体を不自由にするより,モンスターを放任しておく方がマシである。」 モンスター放任は,つぎの点から,成り立たない: そこで,現実策はつぎのようになっている: しかし,ひとはこの現実策を賢く立てることができない。 結局,全ての者を不自由にする制度・規則づくりへと進む。──性悪説についてしまう。 モンスターという存在は,反照的に,「ひとは暗黙に一定の行動様式を守っている」ということをわれわれに再認識させる。 この一定の行動様式を,「モラル」という。 「制度・規則で解決」では,モラルが捨てられる。 ──<大事>が捨てられる。 「制度・規則にしてしまったら,最期」と思わねばならない。
実際,インテリジェンスはモラルにつき,愚は制度・規則につく。 モンスター対策を考えるためには,モンスターが何であるかをわかる必要がある。 このとき,モンスターにならずに済んでいるのが大多数ということを,先ず奇跡と思わねばならない。 手厚い「養育・教育」を受けることがなければ,ひとはモンスターになる。 モンスターにならずに済んでいるのが大多数ということは,手厚い「養育・教育」を受けてきたのが大多数ということである。 手厚い「養育・教育」の不作為は,確率的に発生する。 よって,モンスターは,確率的に発生する。 そこで,モンスター対策の本道は,教育である。 モンスターの発生を最少にくいとめる教育,モンスターに感染されないようにする教育である。 ただし,これは時間がかかる。 困ったことに,いまのわれわれの文化は,時間のかかることを「策」とはしない。 短期に事態を変えるもののみを,「策」と考える。 「10年かかることは10年かけるしかない,100年かかることは100年かけるしかない」という考え方は,いまは一部のマイナーな文化にしか残っていない。 |