Up カンニングの論理 作成: 2008-07-16
更新: 2008-07-16


    カンニングは,基本的に,「合格点をとるためには,カンニングするしか方法がない」者がやる。 そして,「合格点をとるためには,カンニングするしか方法がない」者とは,「全然準備ができていないまま当日試験場に出てくる」者のことである。

    実際,論理として,「準備ができていなければ合格できない試験であることを知っていて,なおかつ全然準備ができていないまま当日試験場に出てくる」者は,カンニングする者である:

      自分はこの試験で合格しなければならない。
      自分はこの試験に対し全然準備ができていない。
      この試験は,準備ができていなければ合格できない試験である。
      準備ができていなければ合格できない試験に合格する方法は,カンニングの他にはない。
      よって,自分はカンニングしなければならない。


    「カンニングの横行」とは,容易にカンニングに及ぶ学生が増えているという現象である。 「不合格か?カンニングか?」でカンニングが選ばれるというわけであるが,これは
      「困窮は,犯罪を許す」
    の図になっている。

    カンニングを自己抑制するものは,モラルである。 すなわち,カンニングを卑しい行為として忌避するモラルである。
    しかし,試験に臨む準備が全然できていないでなおかつ自分は合格しなければならないと思い定めている学生には,カンニングを卑しい行為として忌避するモラルは持たれない。
    「衣食足りて礼節を知る」とは,「衣食足りていないところに礼節は起こらない」ということ。
    ──翻って,カンニングを卑しいと思えるためには,試験に準備できるカラダをつくるしかないわけである。