「アカハラ」──教員の考える<学業を課す>を学生がハラスメントと受け取るタイプの「アカハラ」──の要素には,教員の未熟とともに,学生の未熟がある。
学生の未熟には,つぎの2つがある:
- 「大学教育・大学生」の意味を,よくわかっていない。
- 教員に対し自分の意思を伝える/異を述べることが,あたりまえにできない。
A.「大学教育・大学生」の意味を,よくわかっていない
「大学教育・大学生」の意味をよくわかっていなければ,<学業>に対して見当違いの受け取りをしてしまうことになる。
B. 教員に対し自分の意思を伝える/異を述べることが,あたりまえにできない
「アカハラ」では,学生が教員に対し「自分の意思を伝える/異を述べることがあたりまえにできない」ぐあいになっている。
できない理由は,(論理の上の可能性として) つぎのものである:
- 「教員に対し自分の意思を伝える/異を述べる」という概念が無い。
- 「教員は,学生が自分の意思を伝える/異を述べるべき対象ではない」という思い込みがある。
- 「教員に対し自分の意思を伝える/異を述べることは,教員に対する反抗であり,そして反抗すれば教員から何らかの仕返しをされる」という想いがある (「パワハラ」恐怖)。
- 自分の意思/異論を持てない (「指示待ち」)。
教員に対し自分の意思を伝える/異を述べることができない学生は,つぎのような行動形態を選ぶことになる:
- 不満・異議を愚痴の形で他の者に話すことによって,ストレスを発散する。
- 自分の「ヘルプ!」に気づいてほしくて,ネットに匿名投稿する。
- 学生相談員やオンブズマンに訴える。
そしてこれが,「アカハラ」の事件化の形である。
|