Up 「アカハラ」の条件 作成: 2009-03-06
更新: 2009-03-06


    つぎは,アカハラの条件ではない:
      課題をこなすのに,学生が徹夜作業を強いられる。
    実際,こういうことは,たとえば理・工学の実験系であれば,アタリマエである。 (「不夜城」が,大学のあり方である。)
    つぎも,アカハラの条件ではない:
      学生が,指導教員の研究を手伝わされる。
    実際,「手伝わせる」という形が,指導の最良の形になる場合がある。 (「手伝わせる」という形で教えるしかない場合がある。)
    つぎも,アカハラの条件ではない:
      作業がびっしりでバイトができない。
    実際,指導教員が学生のバイトに配慮するのは,<破格>というものであって,配慮しないことはハラスメントではない。

    「アカハラ」の規準 (criteria) は,つぎのものである:
    1. 度が過ぎる
    2. 学業と関係がない
    しかしこの規準は,適用できるものにはならない。
    たとえば,「課題をこなすのに,学生が徹夜作業をを強いられる」は,<研究>のカラダづくりとして必要なことなら,「度が過ぎる」とは言えない。
    掃除や付き合いも,<研究>の体制・環境を理解し構築するために必要なら,「学業と関係がない」とは言えない。 (実際,修行が炊事・洗濯・掃除から始まるということの意味は,深い。)


    必要・必須でないことを作業として課すのは,「アカハラ」である。
    「アカハラではない」とは,必要・必須だということである。

    しかし,「必要・必須」が指導教員側の思い込みだとしたら?
    第三者がこれを判定することは難しい。

    「必要・必須」を証すものは,独り,その指導教員の教育実績である。
    教育実績のない教員は,「必要・必須」を学生から疑われてもしようがない。 実際,疑われることが,自分のためになる。

    そしてここで,「教室」の伝統というものが意味をもってくる。
    「教室」として教育実績 (優秀な人材の輩出) があり,教員の指導が「教室」の伝統の中に位置づいていれば,その教員の考える「必要・必須」はまあ信用しようということになる。

    翻って,歴史の浅いコース・教室は,伝統を地道につくっていく他ない。
    「アカハラ」が問題化しやすい立場であることを理解し,そしてこの立場に甘んじねばならない。
    有名大学の同じコースでは学生が徹夜作業をやっているからといって,自分のところの学生にこれをやらせれば,定めし「アカハラ」になる。