Up 処分を急ぐのは,百害あって一利無し 作成: 2009-02-23
更新: 2009-02-23


    ひとはいつも,<いま>を決定的な時と思ってしまう。
    そして,逸(はや)る気持でやってしまう。
    逸るとは,先のことの思案を忘れるということである。
    学生の処分の場合だと,これは勇み足になる構造である。

    なぜ急ごうとするのか?
    つぎの解釈になる:
      「迅速」をよいことと思っている。
      既に事件を把握しており,既に処分しています」を言える形を,よいと思っている。

    しかし,「既に事件を把握しており,既に処分しています」を聞いてこれに感心する者は,いない。
    既にその者は処分しており,学生ではありません」を言えることが,対外的な立場をラクにするというわけでもない。
    そして,事件の把握がズレていたときには,とり返しのつかないことになる。

    処分を急いでよいことは,何もない。
    不確定な要素があるときは,処分保留の形にしておけばよい。
    「処分保留」とは,「処分をしない」ということではない。

    すべてを見届けることができたところで,処分の作業に入ればよい。
    最初思っていたより重い処分になるかも知れないし,軽い処分になるかも知れない。 あるいは,処分なしになるかも知れない。

    「処分保留」の論を,「学生の利益・権利」の論と混同してはならない。
    「処分保留」は,「学生の利益・権利」のはなしとは関係ない。
    実際,最初思っていたより重い処分になるとき,それを「学生の利益」とは言わないだろう。 また,「いますぐの退学よりも,しばらく後の退学の方が得」ということもない。