Up はじめに 作成: 2011-05-31
更新: 2014-11-25


    2011-05-27,国立大学法人北海道教育大学において,「意向投票」が実施された。
    2011-05-30 17:08,学長選考会議よりつぎの選挙結果報告が為された:
◆ 意向投票の結果について

学長選考規則第8条第4項に基づき実施されました意向投票について、以下のとおり結果を公表します。

  投票日時     5月27日(金)10:00〜15:00
  意向投票対象者数 526名
  投票者数     484名
  投票総数     484票(うち有効投票数458票)
  投票結果     [対立候補者氏名] 250票
           [現学長氏名]   208票
                  以上 (五十音順)

          国立大学法人北海道教育大学学長選考会議  

    17:09,併せてつぎの報告が為された:
◆ 次期学長候補者の決定について

国立大学法人北海道教育大学学長選考会議は、学長選考規則第9条第2項に基づき、下記の者を次期学長候補者として決定したことをお知らせします。

  氏 名   [現学長氏名] ([年齢])
  現 職   北海道教育大学 学長
  任 期   平成23年8月27日 〜 平成25年9月30日

学長選考規則に関する運用規則第9条関係に基づく学長選考会議委員
による投票結果

  投票総数16票(うち有効投票数16票)
  得票14票

          国立大学法人北海道教育大学学長選考会議  

    北海道新聞は,この内容を 2011-05-31 朝刊でつぎのように報じている:
道教大学長に [現学長姓] 氏 選考会議、教職員投票覆す
 北海道教育大は30日、[現学長氏名]([年齢])の任期満了に伴う学長選考会議(議長・[道商工会議所連合会会頭氏名] 北海道商工会議所連合会会頭)を開き、[現学長姓] 氏の再任を決めた。2期目となるため、任期は1期目の4年間より短い8月27日〜2013年9月30日の2年間となる。
 学長選には [現学長姓] 氏と釧路校の [対立候補者氏名] 教授が立候補。選考会議に先立ち、27日に教授や准教授ら教職員を対象に行われた意向投票では [対立候補者姓] 氏が250票を獲得し、208票の [現学長姓] 氏を上回った。しかし、外部の有識者や副学長ら16人による選考会議では「意向投票の結果や、立候補者との面接などを踏まえた」(同大)上で最終投票が行われ、[現学長姓] 氏が14票を獲得し、[対立候補者姓] 氏は2票だった。

    「学長の強力なリーダシップ」の内容には,学長選挙を退けることが含まれている。
    すなわち,学長は学長選考会議が指名するものとしている。
    選考会議は,学長派が組織するので,<自分で自分を指名>のシステムになる。

    <自分で自分を指名>のシステムは,だれが考えても危ない。
    このシステムは,当然教員の猛反発を招く。
    そこで,「法人化」当初の暫定措置──教員の懐柔策──として,「意向投票」が導入された。
    教員は,「学長が実質的には選挙で選ばれる」の思いをもち,安心した。
    翻って,法律とは何かを,教員はこのときわかっていなかった。

    実際,教員による学長選挙は,国立大学法人法の逸脱になる。実際,違法である。
    意向投票で負けた現職学長は,<意向投票で負けた>を理由に辞職することはできない。
    加えて,「辞めることはできない」は「辞めなくてよい」に転じる。
    学長にしても,もともと己を是(ぜ) として学長になった者である。
    辞めてタダモノになるのは,生計のことを外においても,嫌なことである。
    そしてこれと同様のことを,自分をサポートしてきた人たちについて考えることになる。
    こうして学長は,<意向投票を無化して居座る者>となる。

    そしてこれは,国立大学法人法の含意であった「学長専制」がはっきりした瞬間である。


    ここまでの流れは,国立大学法人法の含蓄である。
    法を否定するのでなければ,「学長専制」は認めるものである。
    本論考は,「学長専制」のこれからの問題を考えようとする。
    即ち,「学長専制」が孕む危険を考えようとする。


    「意向投票」を正義としてこれの堅持を唱える思考回路がある。
    この思考回路は,「意向投票」が国立大学法人法と両立しないことに思いを致さない。
    この思考回路は,自分のこのスタンスに矛盾を思わない。
    この思考回路は,サヨク思考回路である。

    サヨク思考回路は,この先ずっと学長に対決を挑むものである。
    「学長専制」が孕む危険の一つは,サヨク思考回路との対応の仕方を間違うことである。
    「過剰な対応」が,危険の形である。


    「学長専制」が孕む危険としてつぎに挙げるものは,「敵」を見立てることである。,

    一般に,専制は民衆と対立する。
    「対立」は,相手が敵ということではない。
    しかしこのとき《相手を敵に見立てる》《権力を持って相手を抑える》に進むと,相手を本当の敵にしてしまう。
    そして,一旦《抑える》をやれば,《抑える》から抜けられない。

    《抑える》に及ぶのは,「抑えることに失敗=自分が殺られる」を立てる場合である。
    殺られたくないの思いが強くなると,抑圧が強くなる。
    これは悪循環する──循環してエスカレートする。
    悪循環の先は「弾圧・粛清」である。


    「学長専制」が孕む危険としてここでもう一つ挙げるようとするのは,権力の私物化である。,

    学長執行部は,権力占有を好んでやっているのではない。 やることを強いられるのである。
    北朝鮮の金王朝,この前崩壊したエジプトのムバラク王朝を鑑みるとよい。
    「王朝体制」は惰性である。
    それは,「千年王国」を強いる惰性である。

    「専制」の理解の形は,「悪者論」ではない。 (「悪者論」は,どんな場合にも,意味隠蔽の効用しか持たない。)
    専制の組織 (公器) 私物化は,王家の<家族おもい>というすぐれて人間的な行動ももとになっている。
    著しくは,粛清体制もすぐれて人間的な行動がもとになる。 それは,民衆の<都合主義>である。

    「専制」を理解するとは,「専制」の型 (構造) を理解するということである。
    この型の学習テクストは,古今東西の事例である。