Up | はじめに | 作成: 2011-05-31 更新: 2014-11-25 |
2011-05-30 17:08,学長選考会議よりつぎの選挙結果報告が為された:
17:09,併せてつぎの報告が為された:
北海道新聞は,この内容を 2011-05-31 朝刊でつぎのように報じている:
「学長の強力なリーダシップ」の内容には,学長選挙を退けることが含まれている。 すなわち,学長は学長選考会議が指名するものとしている。 選考会議は,学長派が組織するので,<自分で自分を指名>のシステムになる。 <自分で自分を指名>のシステムは,だれが考えても危ない。 このシステムは,当然教員の猛反発を招く。 そこで,「法人化」当初の暫定措置──教員の懐柔策──として,「意向投票」が導入された。 教員は,「学長が実質的には選挙で選ばれる」の思いをもち,安心した。 翻って,法律とは何かを,教員はこのときわかっていなかった。 実際,教員による学長選挙は,国立大学法人法の逸脱になる。実際,違法である。 意向投票で負けた現職学長は,<意向投票で負けた>を理由に辞職することはできない。 加えて,「辞めることはできない」は「辞めなくてよい」に転じる。 学長にしても,もともと己を是(ぜ) として学長になった者である。 辞めてタダモノになるのは,生計のことを外においても,嫌なことである。 そしてこれと同様のことを,自分をサポートしてきた人たちについて考えることになる。 こうして学長は,<意向投票を無化して居座る者>となる。 そしてこれは,国立大学法人法の含意であった「学長専制」がはっきりした瞬間である。 ここまでの流れは,国立大学法人法の含蓄である。 法を否定するのでなければ,「学長専制」は認めるものである。 本論考は,「学長専制」のこれからの問題を考えようとする。 即ち,「学長専制」が孕む危険を考えようとする。 「意向投票」を正義としてこれの堅持を唱える思考回路がある。 この思考回路は,「意向投票」が国立大学法人法と両立しないことに思いを致さない。 この思考回路は,自分のこのスタンスに矛盾を思わない。 この思考回路は,サヨク思考回路である。 サヨク思考回路は,この先ずっと学長に対決を挑むものである。 「学長専制」が孕む危険の一つは,サヨク思考回路との対応の仕方を間違うことである。 「過剰な対応」が,危険の形である。 「学長専制」が孕む危険としてつぎに挙げるものは,「敵」を見立てることである。, 一般に,専制は民衆と対立する。 「対立」は,相手が敵ということではない。 しかしこのとき《相手を敵に見立てる》《権力を持って相手を抑える》に進むと,相手を本当の敵にしてしまう。 そして,一旦《抑える》をやれば,《抑える》から抜けられない。 《抑える》に及ぶのは,「抑えることに失敗=自分が殺られる」を立てる場合である。 殺られたくないの思いが強くなると,抑圧が強くなる。 これは悪循環する──循環してエスカレートする。 悪循環の先は「弾圧・粛清」である。 「学長専制」が孕む危険としてここでもう一つ挙げるようとするのは,権力の私物化である。, 学長執行部は,権力占有を好んでやっているのではない。 やることを強いられるのである。 北朝鮮の金王朝,この前崩壊したエジプトのムバラク王朝を鑑みるとよい。 「王朝体制」は惰性である。 それは,「千年王国」を強いる惰性である。 「専制」の理解の形は,「悪者論」ではない。 (「悪者論」は,どんな場合にも,意味隠蔽の効用しか持たない。) 専制の組織 (公器) 私物化は,王家の<家族おもい>というすぐれて人間的な行動ももとになっている。 著しくは,粛清体制もすぐれて人間的な行動がもとになる。 それは,民衆の<都合主義>である。 「専制」を理解するとは,「専制」の型 (構造) を理解するということである。 この型の学習テクストは,古今東西の事例である。 |