国立大学法人法は,「学長のリーダシップ」を規定する法である。
「学長のリーダシップ」の意味は,「大学の戦後レジームを今こそ根絶」(小泉内閣財政諮問会議) である。
「大学の戦後レジーム」には,「大学の自治」が含まれている。
「大学の自治」は,国立大学法人法の制定を以て,ほんとうに終わる (息の根を止められる)ことになる。
ここに,2014-11-03 の北海道新聞の社説がある。
この記事などは,端(はな)からずれているわけである。
即ち,「大学の自治」のことばをいまに言っているというのは,国立大学法人法の意味の捉えを閑却したままいまに至っているということを,ただ示している。
学長の選考 ── 自治揺るがす投票廃止
「大学の自治」が空洞化しかねない。
学長を決めるに当たって、教職員投票を廃止する国立大学が出てきた。道内でも北海道教育大が初めて投票をやめる。これで全国86校中5校になる。
経済界の重鎮や学内外の有識者などで構成される学長選考会議が選考を一手に握る形になる。
法律上、問題はない。しかし、ほとんどの教職員がタッチできない密室でリーダーが決まれば、学内に閉塞感が募らないだろうか。
経営手腕や対外交渉力ばかりが優先されれば、すぐには成果が出せそうにない基礎研究や教員の地位保全が脇に追いやられかねない。道教大には再考を求めたい。
教職員による投票は2004 年の国立大学法人化前はほとんどの大学で行われ、最多得票の候補者が学長に選ばれてきた。
法人化後は、学長を最終的に決めて文部科学相に推挙するのは学長選考会議と明確化され,教職員による投票は必ずしも行わなくてもよくなった。
だからといって、一気呵成に廃止してよいものか。大学は自治が保障されることによって、学問と教育の自由が守られてきた。
法人化から10年を経てなお、ほとんどの大学が学内投票を行い、その結果を尊重しているのは、教職員が自ら意思を示す投票行為が自治を下支えしているからだ。
今年、大学当局が投票廃止に動いた京大で、教職員が大学の自治を掲げて反発し、廃止を阻止したことは記憶に新しい。
逆に、07年の山形大学長選考では、投票2 位の文科事務次官経験者が非公開の選考会議で選ばれ、就任後に選考会議で投票廃止を決めて学内の批判を浴びた。
国立大学に国際競争力や産学協同の開発力がますます求められるようになり、学長に経営手腕や外に開かれた視野が必事とされるようになったのは確かだ。
しかし、大学は利潤や業種を優先する企業とは異なる基本理念で運営されなくてはならない。そうでなくては、成果主義や効率一辺倒になって、基礎科学や実現に長い時間がかかる研究、社会のあり方を問う文系の学問がままます切り捨てられかねない。
学問を守り発展させるためにも、大学の学長には幅広い見識と教員や研究を大事にする内面を備えた人物が就くべきだ。
そうした学長を決める場が「密室」の選考会議だけでいいわけがない。
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