Up v.s.「ひとの目なんか気にするな」 作成: 2014-10-28
更新: 2014-10-28


    学生の所業のことで「迷惑行為」「あるまじき行為」を大学に訴えてくる者が,いる。
    軽微な内容であれば,訴えてくる者は「クレーマー」である。
    しかしいまは「コンプライアンス」の時代であるから,「クレーマー」は丁重に扱わねばならない。
    そして,丁重に扱う形の一つとして,「人権・倫理」の科目で,学生に対し「ひとの目を気にしろ」の授業をしたりするわけである。

    「ひとの目を気にしろ」の考え方は,教員の中でも多様である。
    本気で大事に考える者もいるだろうし,これを言う役が回ってきたので「しゃーないな」で学生にこれを言う者もいなければならない。

    しかし本当を言えば,大学生全員に「ひとの目を気にしろ」が授業される時代は,おかしいのである。
    なぜおかしいか?
    大学生の年頃の者に教育者が言うことばは,「ひとの目なんか気にするな」のはずだからである。

    世間は勝手なものである。
    教育実習生についての感想では,ここしばらく決まって「まじめだが,物足りない」が返ってくる。
    「物足りない」の意味は,「覇気がない」「ガツガツしてない」である。
    しかし,実習生にすれば,しっかり空気を読もうとしているのである。
    「なんだあいつは」みたいに受け取られるようなことはしまいと,いっしょうけんめいなのである。
    企業も,若手社員について,同様の評価をする。
    「物足りない」「ガツガツしてない」というわけである。

    学生は,まじめなわけではない。
    まじめを演じているだけである。
    実際,まじめで,これまでの「いじめ社会」をくぐって来れてるわけがない。
    表が白なら,白をプラスマイナスで相殺するような黒が裏に無ければならない。
    そうでなければ,バランスがとれない。
    バランスがとれなければ,イカレてしまう。
    現前の学生がイカレていないのは,バランスがとれている証拠である。

    よって,「ひとの目を気にしろ」を学生に言うときは,よほど注意した方がよい。
    これに理屈をつけるときは,よほど注意した方がよい。
    程度の低い理屈だと相手から自分がどんなふうに断じられることになるかを,よくよく考えた方がよい。

    こう言うのも,わたしが大学生の頃の時代は,「ひとの目を気にしろ」を言うような教育者は考えられなかったし,いたら,たちまち軽蔑されたに違いないからである。

    関連して, 現前の時代・状況を絶対というふうに考えてはならないということが言える。
    いまはクレーマーとコンプライアンスの時代・状況だが,これを絶対というふうに考えると,定めし誤る。