Up | コスト感覚の変化が「差別する者」をつくる | 作成: 2014-11-18 更新: 2014-11-18 |
入学願書が受理されなかったことを,「差別」としたわけである 大学側は,女子大でやってきたことの歴史を,自分の理として立てる。 店のコーヒーでやけどした者が,その店を訴える。 道路の穴につまづいて怪我した者が,道路が市道であったので,市を訴える。 この3事例は,訴えられた方は,「えっ,うそー」になる場合である。 実際,この種のケースでは,一方で,訴えない者がいる。 訴える者と訴えない者の違いは,何か? 「権利」意識ではない。 「コスト」感覚である。 自分の都合・感情と,自分の主張が全体の理に成ったときの社会的コストを,秤にかける。 自分の都合・感情を重いとする者が,訴える者である。 社会的コストの方を重いとする者が,訴えない者である。
さて,世の中のダイナミズムは,「権利」が「コスト」に勝つようになっている。 世の中はこれらの訴えを標準にしていく。 「法」を立てれば,こうなる。 そしてこれは,コスト感覚の変化に対応しない/できない者は,特に「差別する者」になるということである。 |