Up | 「切り捨て」に「差別」のことばをあてる? | 作成: 2014-10-03 更新: 2014-10-03 |
ここで「差別」のことばで指しているものは,「切り捨て」である。 「切り捨て」を「差別」と呼ぶのは,「差別」のことばを無くしてしまうことである。 「差別」のことばを大事にしたいのなら,「切り捨て」と「差別」は区別しなければならない。 大学の校舎が,車椅子使用者に配慮していない構造になっているのは,車椅子使用者の「切り捨て」であって,「差別」ではない。 車椅子使用者がコンビニでビールを買っているのを見て「税金で補助されている身分のくせに」を言う類の者がいるということだが,これは「差別」である。 「切り捨て」とは,「コストをかけられない/かけたくないから切り捨てる」である。 「障害者差別解消法」は,「コストをかけるようにしろ」が趣意である。 この「障害者差別解消法」に対し,つぎのように言う者が出てくる:
日本はほかの国と較べ,何と遅れていることか!」 「解消法」ではなく「禁止法」だったらどうなのかを,考えてみよう。 「解消法」と「禁止法」の違いは,後者は罰則規定を伴うということである。 即ち,「障害者差別解消法」が「コストをかけるようにしろ」であるのに対し,「障害者差別禁止法」は「コストをかけろ;かけないと罰するぞ」である。 「数のはしたの切り捨て」の言い回しがあるように,「切り捨て」には,本来「邪悪」「卑劣」「愚」の意味はない。 「コストをかけられない/かけたくないから切り捨てる」は,人の営みではふつうのことになる。 これを「邪悪」「卑劣」「愚」と決めつけたら,人の営みは成り立たない。 実際,「コストをかけられない/かけたくないから切り捨てる」をしている者のうちには,「コストをかけろ;かけないと罰するぞ」を言われたら,いまの営みが成り立たなくなる者がいる。 個人も法人も,そんなに余裕をもって営んでいるわけではないのである。 かつかつで営んでいる者に,「コストをかけろ;かけないと罰するぞ」が来るとどうなるか? その者は,巧く逃れようとする。 「ごまかし」「うわべ繕い」をやるようになる。 いまの「コンプライアンス」と,同じことになる。 「卑しさ」が社会に蔓延するのである。 よって,「切り捨て」への対策は,バランス感覚が肝心となる。 「障害者差別解消法」が「障害者差別禁止法」でないのを「遅れている」とか「劣っている」というふうに直ちに決めつけるようなのは,考えが浅いということである。 問題対象は,複雑系である。 「悪者退治」の話なんかではない。 よくよく思慮すべし。 |