Up 「切り捨て」に「差別」のことばをあてる? 作成: 2014-10-03
更新: 2014-10-03


    「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(「障害者差別解消法」) が,2013年6月に制定されている (施行は,2016年4月1日)。
    ここで「差別」のことばで指しているものは,「切り捨て」である。

    「切り捨て」を「差別」と呼ぶのは,「差別」のことばを無くしてしまうことである。
    「差別」のことばを大事にしたいのなら,「切り捨て」と「差別」は区別しなければならない。

    大学の校舎が,車椅子使用者に配慮していない構造になっているのは,車椅子使用者の「切り捨て」であって,「差別」ではない。
    車椅子使用者がコンビニでビールを買っているのを見て「税金で補助されている身分のくせに」を言う類の者がいるということだが,これは「差別」である。

    「切り捨て」とは,「コストをかけられない/かけたくないから切り捨てる」である。
    「障害者差別解消法」は,「コストをかけるようにしろ」が趣意である。

    この「障害者差別解消法」に対し,つぎのように言う者が出てくる:
      「解消法」ではなくて「禁止法」でなければならない。
        日本はほかの国と較べ,何と遅れていることか!
    ほんとうにそうか?

    「解消法」ではなく「禁止法」だったらどうなのかを,考えてみよう。
    「解消法」と「禁止法」の違いは,後者は罰則規定を伴うということである。
    即ち,「障害者差別解消法」が「コストをかけるようにしろ」であるのに対し,「障害者差別禁止法」は「コストをかけろ;かけないと罰するぞ」である。

    「数のはしたの切り捨て」の言い回しがあるように,「切り捨て」には,本来「邪悪」「卑劣」「愚」の意味はない。
    「コストをかけられない/かけたくないから切り捨てる」は,人の営みではふつうのことになる。
    これを「邪悪」「卑劣」「愚」と決めつけたら,人の営みは成り立たない。

    実際,「コストをかけられない/かけたくないから切り捨てる」をしている者のうちには,「コストをかけろ;かけないと罰するぞ」を言われたら,いまの営みが成り立たなくなる者がいる。
    個人も法人も,そんなに余裕をもって営んでいるわけではないのである。

    かつかつで営んでいる者に,「コストをかけろ;かけないと罰するぞ」が来るとどうなるか?
    その者は,巧く逃れようとする。
    「ごまかし」「うわべ繕い」をやるようになる。
    いまの「コンプライアンス」と,同じことになる。
    「卑しさ」が社会に蔓延するのである。

    よって,「切り捨て」への対策は,バランス感覚が肝心となる。
    「障害者差別解消法」が「障害者差別禁止法」でないのを「遅れている」とか「劣っている」というふうに直ちに決めつけるようなのは,考えが浅いということである。
    問題対象は,複雑系である。
    「悪者退治」の話なんかではない。
    よくよく思慮すべし。