「人権」のことばを,つぎのように使うのは正しいか?
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「あなたは,わたしを殺すべきではない。わたしには人権がある。」
「あなたには,わたしをいじめるべきではない。わたしには人権がある。」
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愉快犯の「殺す」であれば,また,学級の「いじめる」であれば,こんなふうに言われた者は,つぎのように返すことになる:
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「権利がどうこうでやろうっていうわけではないんだからね。
あんた,アタマがおかしいな。」
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一方,相手が「殺す」「いじめる」を正義にしている場合には,上の「人権」のことばの使い方はあり得るものになる。
「人権」は,つぎの形・条件で使うことばである:
- 自分に被害を与える行為をする相手に対し,「人権」を楯に「するな」を言う。
- 「するな」を言うのは,個人──あるいは<個人>の集まり──である。
- 相手は,己の行為の正しさを任じている者である。
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よって,このときの相手は,<権力>か<モンスター>ということになる。
例えば,ゴミ処理場建設計画に対し建設場所周辺住民が「反対」を言うときは,<権力>が相手になっている。
自分の家の隣で高い建物の建築が始まり,このままでは自分の家に日がささなくなるというので,日照権で争うときは,相手を<モンスター>に定めていることになる。
ただし<権力>の場合,たいてい,<権力>と<モンスター>が重なるふうになる。
例えば,現前の政治に対し「強権政治」のことばを言うときは,<権力>に<モンスター>性を見ているわけである。
学校を場面とするときは,「人権」の問題の現れる形として,どのようなものが考えられてくるか?
つぎは,大分類の一つの仕方である:
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A. 学生あるいはその保護者が,学校あるいは教職員個人を訴える。
B. 教職員が,学校あるいは教職員個人を訴える。
C. 教職員が,学生あるいはその保護者を訴える。
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例:
- 学生が,指導教員をアカハラで訴えるのは,Aの場合である。
- 教職員が,学校に処遇改善を訴えるのは,Bの場合である。
- 教職員が,モンスター学生・モンスターペアレントによる肉体的・精神的な被害を訴えるのは,Cの場合である。
Cは,従来なら考えられないカテゴリーであるが,いまはこのカテゴリーの事件が実際に起こっている。
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