Up 「なぜ」が無い──学術/科学でない 作成: 2012-01-28
更新: 2012-01-28


    この科目は,「差別」を内容にした授業が多く揃う。 そして,これらの授業は,おしなべて,学術/科学を行うものになっていない。

    学術/科学の規準 (criteria) は,簡単に言うと,「なぜ」を扱えることである。
    「なぜ」を扱えるとは,理論の体系になっているということである。


    「差別」の授業者は,「この差別現象は,どういう力学が働いてこうなるのか?」を論じない。 「差別」を表しているとする事例や数値データを示して,「こんなふうに差別がある;これを無くさねばならない」を唱えることに,終始する。

    この論法は,ナンセンスである。
    たとえば,この論法による「女性差別を無くす」のナンセンスは,つぎのナンセンスと同型である:
      雨が専ら上から下に降るのは,<下から上に降る>に対する差別である。
      <上から下に降る>と<下から上に降る>は,トントンでなければならない。
      差別を無くさねばならない。
    このナンセンスは,「なぜ」(「なぜ雨は専ら上から下に降るのか」) が無いためのナンセンスである。 雨が降る力学が押さえられていれば,「差別」「トントン」の話にはならない。


    授業者が「こんなふうに差別がある;これを無くさねばならない」と言うとき,何を改めることで差別が無くなると考えているのか?
    「なぜ」が無いので,<差別のもと=改めねばならないもの>は,専ら体制・制度の劣悪,人の意識・資質の劣悪というふうになる。 《後れているから/劣っているから/邪だから,差別するのだ》というわけである。

    そこで,「差別を無くす」は,「体制・制度の変革」の問題になる。
    そしてこの変革は,<正しい考えをもつ者>が<後れている/劣っている/邪な者>を正しい方向に導くという図式になる。 これは,前衛主義である。
    実際,「差別を無くす」は,「変革・前衛主義」のイデオロギーと相性がよい。