Up | 「公平」 | 作成: 2008-11-24 更新: 2008-11-24 |
これに対応するのに,必死になる。 必死になった学生は,つぎの<不均一>を「学生が不満を抱いて然るべき<不公平>」に見なしていく: GPA・CAP を進める大学側も,この<不均一>を「<公平>へと改めるべきことがら」にしていく。 北海道教育大学の教育改革室による『本年度前期の履修登録期間に新カリキュラムの2・3年次を対象に実施したアンケート結果とその対策』(2008) では,教育改革室の考え方としてつぎのものが示されている (部分的引用): 大学教育に関わることとして,ここでいう「公平」は,モンスター・ロジックである。 大学の教育は,多様性をよしとする。 授業によって評点の傾向が異なってくることは,自然なことである。 評点は,学生に対して授業者が送るメッセージである。 「この授業でのあなたの達成度はこのようである」を知らせるのが,評価という行為である──それ以上でも以下でもない。 GPA・CAP では,評価制度に大学教育を従わせるという本末転倒が起こる。 「厳格化」のことばは,「授業」にではなく,「評価」にくっつく。 また,上の例で特徴的なことに,「副学長が講義担当者から聞き取りをする」のは,「平均点が極端に低い講義,不可の割合が高い講義」の場合である。「平均点が極端に高い講義,A評価の割合が高い講義」ではない。 なぜか? 学生が問題にするとすれば,それは前者であるからだ。 学生にとって後者はありがたいものなので,これについては藪を突っつくようなことはしない。 こうして,「公平」のモンスター・ロジックは,大学教育の幼稚化を唱えるモンスター・ロジックに転じる。 |