「指導」は,「連座」を好む傾向がある。
この傾向の要素として,つぎの二つが挙げられる:
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a.「指導」成果が大きく見える
せっかく係わる仕事は,大きな仕事であったように自ら感じたいし,また周りにもそのように見せたいものである。
一人の学生に対する「指導」は,部とか学年に対する「指導」に拡大したとき,より大きな仕事をした感じになれる。
「指導」成果の報告も,かたちになる。
b. 思想傾向
個人の犯罪に対しこの犯罪のもとを家族や社会の問題構造に求め,そしてこのような考え方をしない者を「正義」や「人道」,そして「教育」の考えに劣ると見る,思想傾向がある。
「指導」がこの思想傾向の導くところになるとき,「指導」は連座主義になる。
このときの連座主義の問題は,実際には処分者の拡大であるのに,「指導」側は「教育的」のつもりで得々としていることである。
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もっとも,「指導」の連座主義は,欺瞞である。
教員個人では,ダブルスタンダードを用いる者だからである。
即ち,自分の属する教員組織では,連座は受け付けるものではない。
学生に対しは,連座を科す。
一般に,ひとは,自分の属する組織では,連座を退ける。
自分が管理支配する組織に対しては,連座を用いようとする。
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